「一生に一度はお伊勢参り」といわれた江戸時代、伊勢神宮への一大参拝ブームが巻き起こったのはみなさんもご存知ですよね。
では「お伊勢参らば 朝熊(あさま)をかけよ 朝熊かけねば片参り」という伊勢音頭の一節はどうでしょう?
この一節で謳われている「朝熊」とは朝熊山(あさまやま)の山頂付近にある「金剛證寺(こんごうしょうじ)」を指しているんです。
本記事では、伊勢神宮の鬼門を守るとされる金剛證寺について、パワースポットとされる理由や見どころについて紹介していきます。
パワースポット巡りがお好きな方は、ぜひ参考にしてくださいね。
金剛證寺がパワースポットとされる由来とは?
金剛證寺がパワースポットとされる由来ですが、ズバリ「伊勢神宮の鬼門を守っている」とされているからに他なりません。
鬼門とはその名の通り「鬼(邪気)の出入りする門(方角)」を意味していて、「艮(うしとら)=北東」の方角にあたります。
鬼門はもともと古代中国の考え方でした。
その考え方がやがて日本に伝わり、陰陽道などの影響を受ける中で「鬼門=不吉な方角」として徐々に広まっていったとされています。
そのため、都や幕府の鬼門にあたる方角には「鬼門除け」と称して大きな寺院が建てられることが多くありました。
皇室の御祖神であり、日本国民の総氏神「天照大神(あまてらすおおみかみ)」を内宮でお祀りしている伊勢神宮。
現在でも全国の神社の本宗として崇敬を集め続けている伊勢神宮の「鬼門除け」こそが、金剛證寺といわれているのです。
パワースポットの呼び声高い伊勢神宮の鬼門を守る金剛證寺なのですから、金剛證寺自体がパワースポットでない理由はありませんよね。
そんな伊勢神宮と切っても切れない関係の金剛證寺の所在地も、三重県伊勢市。
標高555mの朝熊山(あさまやま)山頂付近にある、臨済宗南禅寺派の空海ゆかりの古刹です。
有料ドライブウェイを利用するか登山でしか行けない場所ですが、江戸時代の人々がこぞって登山をしていたのかと思うと脱帽するばかりです。
参考サイト:伊勢神宮公式サイト
パワースポットを堪能しよう!金剛證寺の見どころ10選
それではパワースポットを堪能すべく、金剛證寺の見どころを10ヶ所ご紹介していきましょう。
- 本堂
- 仁王門
- 連間(つれま)の池と連珠(れんじゅ)橋
- 蓮華庚申(れんげこうしん)
- 福丑(ふくうし)と智慧寅(ちえとら)
- 厄除け地蔵尊
- 明星堂
- 雨宝童子(うほうどうじ)像
- 卒塔婆(そとば)の供養林
- 呑海院(どんかいいん)
境内はゆっくり廻っても1時間かからず散策できるので、じっくりとパワーチャージしていきましょう!
本堂
金剛證寺の見どころ10選の1ヶ所目は、本堂です。
金剛證寺の本堂は別名を「摩尼殿(まにでん)」といい、国の重要文化財にも指定されています。
江戸時代に一度焼失するも、慶長14(1609)年に播磨国姫路城主の池田輝政により再建されました。
形式や装飾がほぼ建築当時の姿のままであるとのことから、桃山時代の建築様式を今に示しているといえますね。
金剛證寺のご本尊は、福威智満虚空蔵大菩薩(ふくいちまんこくうぞうだいぼさつ)。
日本三大虚空蔵菩薩の1つに数えられ、20年に一度 、神宮式年遷宮の翌年にご開帳される秘仏です。
仁王門
金剛證寺の見どころ10選の2ヶ所目は仁王門です。
金剛證寺には駐車場が2ヶ所あり、仁王門が近いのは伊勢志摩スカイラインの伊勢市側ゲートから近い赤い門から入る駐車場。
この金剛證寺駐車場の傍らに40段はあろうかという石段があり、その上に建つ門が仁王門です。
元々の仁王門は元禄14(1701)年に徳川4代将軍綱吉の母・桂昌院によって創建されましたが、現在の門は昭和54(1979)年に再建されたもの。
仁王門ですから、もちろん門の左右には睨みをきかせた迫力満点の仁王像が立っています。
そして、門をくぐった裏側にも注目してください。
仁王像と背中合わせの形で、門の左右に雨宝童子と明星天子の像が安置されているんです。
仁王門をくぐったら、ぜひ振り返って2つの像も鑑賞してみてくださいね。
連間(つれま)の池と連珠(れんじゅ)橋
金剛證寺の見どころ10選の3ヶ所目は、連間の池と連珠橋です。
「連間の池」は弘法大師が掘ったと伝えられる池。
池の中央に架かる太鼓橋は「連珠橋」と呼ばれていて、寛文12(1672)年に創建されたといいます。
橋を境に「此岸(しがん・迷いの世界)」と「彼岸(ひがん・悟りの世界)」が表わされているのだそう。
6月下旬から8月にかけて池は数百の睡蓮で覆われます。
午後になるとほとんどの花が閉じてしまうため、睡蓮を鑑賞したい方は、ぜひ午前中にお出かけください。
蓮華庚申(れんげこうしん)
金剛證寺の見どころ10選の4ヶ所目は、蓮華庚申です。
連間の池の側にある小さな社に蓮華庚申が安置されています。
蓮の花と葉の形で「見ざる、言わざる、聞かざる」という三猿の状態を表していて、それを「見猿、言わ猿、聞か猿」の猿太刀が下から支えているユニークな像です。
中国より伝来した庚申信仰は、日本の様々な信仰と結びつき江戸時代に最も盛んになりました。
庚申を守れば七福が生ずると信じられたそうです。
福丑(ふくうし)と智慧寅(ちえとら)
金剛證寺の見どころ10選の5ヶ所目は、福丑と智慧寅です。
本堂の正面に向かい合って鎮座している丑と寅の像は、それぞれ「福丑」「智慧寅」と名付けられています。
福丑は各地の天満宮で見かける「撫で牛」と同じかと思いきや、よく見ると頭上に金色の大黒天のお姿が!
この福丑に一度触れれば「心清く、意思堅固となり福徳智慧増進し身体健康」のご利益が授けられるとされています。
また智慧寅はご本尊の虚空蔵大菩薩の智慧(知恵)を頂いたとされている像で、慈愛と威徳のご利益が授かるといわれています。
厄除け地蔵尊
金剛證寺の見どころ10選の6ヶ所目は、別名「重軽(おもかる)地蔵尊」とも呼ばれる厄除け地蔵尊です。
「石が重いか軽いかで願いが叶うかどうかを占える」といわれているものを、みなさんも神社や寺院で見かけたことがありませんか?
金剛證寺の厄除け六地蔵尊も同じようなものですが、ただ持ち上げるだけではないんです。
決められた作法があるので、紹介しますね。
- お地蔵様を持ち上げて、静かに置きます。
- その後、左に3回回しながらご真言「オン カァカァカ ビサンマエイ ソワカ」を3回唱えます。
- 改めてお地蔵様を持ち上げて、最初より軽く感じたら願い事を聞き届けてくれたとされます。
作法に気を取られ過ぎてお願い事をするのを忘れないようご注意を!
お願い事を念じるのは、1の間か2の後がよさそうですね。
明星堂
金剛證寺の見どころ10選の7ヶ所目は明星堂です。
明星堂は、伊勢神宮の鬼門除けのために明星天子が祀られたお堂で、朱塗りが何とも鮮やかです。
明星天子の「明星」という文字を分けると、日・月・星の三字からなっているところから三光天子とも称され、虚空蔵菩薩を神格化したといわれています。
神宮鎮護のため、ご本尊の福威智満虚空蔵大菩薩を助けていると言われているそうですよ。
雨宝童子(うほうどうじ)像
金剛證寺の見どころ10選の8ヶ所目は、雨宝童子像です。
雨宝童子は大日如来の化身である天照大神(あまてらすおおみかみ)が日向国(宮崎県)に降り立った16歳の御影(おすがた)であるといいます。
金剛證寺には「木造雨宝童子立像」が所蔵されていて、明治45(1912)年には国の重要文化財に指定されたといいますから、その価値は折り紙付きですよね。
お寺の方のお話では、像はかつて境内の連間の池にかかる連珠橋の奥にある「雨宝堂」に安置されていたそうです。
ですが木造ゆえに湿度の影響をまともに受けるため、現在雨宝堂では雨宝童子尊をお祀りするのみにしていると伺いました。
普段はお寺の宝物館で保管し、全国の博物館から依頼があった時には貸し出しを行っているんだそうです。
現在、金剛證寺で直接見ることができる雨宝童子像は仁王門の境内側に建つ像のみということになりますね。
卒塔婆(そとば)の供養林
金剛證寺の見どころ10選の9ヶ所目は、卒塔婆の供養林です。
伊勢志摩地方には宗派を問わず葬儀の後には朝熊山に登り、金剛證寺の奥の院へ続く参道に卒塔婆を立てて亡くなった人を供養する「岳(たけ)参り」と呼ばれる風習があります。
ただ、卒塔婆といっても墓地で見かけるような細長い木の板ではなく、金剛證寺の卒塔婆はいずれも文字通りの角材。
お納めする金額により卒塔婆の高さも様々です。
奥の院への参道の左右を埋め尽くす無数の卒塔婆の光景は、まさに卒塔婆の「林」。
その膨大な数に、エリアによって「番地」がつけられているほどです。
呑海院(どんかいいん)
金剛證寺の見どころ10選の最後は、呑海院です。
呑海院というより「奥の院」といわれた方が聞きなじみがあるという方が多いかもしれないですね。
極楽門から卒塔婆林を抜けた突き当りにあるのが、金剛證寺の奥の院・呑海院です。
呑海院のご本尊は延命子安地蔵菩薩。
境内には「富士見台」と呼ばれる一角があり、『海を呑む茶の子のもちか不二の雪』という一休さんこと、一休宗純の句碑が建っています。
まとめ
その昔、伊勢神宮のみならず金剛證寺まで詣でることで「お伊勢参り」が完結していました。
伊勢神宮と金剛證寺には切っても切れない関係があったからです。
本記事では、伊勢神宮の鬼門を守るとされる金剛證寺について、パワースポットとされる理由や見どころについて紹介しました。
ぜひ参考にしていただき、みなさんも金剛證寺を訪ねてみてくださいね。
参考サイト:伊勢志摩スカイライン公式サイト
コメントを残す