京都・伏見と聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか?
「お酒」と答える方も多いかもしれませんね。
お酒には良質な水が欠かせませんが、そんなお水が境内から湧き出ている伏見の氏神様・御香宮神社をご存知でしょうか。
本記事では御香宮神社にスポットを当て、その歴史や見どころを紹介していきます。
伏見へお出かけの際の参考にしてください!
御香宮神社の基本情報
具体的な創建年については不明ですが、現在の「御香宮(ごこうのみや)」と名付けられる前まで、この地は「御諸(みもろ)神社」と呼ばれていたそうです。
まずは、御香宮神社の基本情報を4点紹介します。
- 祭神・御利益
- 住所・アクセス
- 参拝料
- 参拝できる時間
祭神・御利益
【祭神】主祭神は神功皇后
【御利益】安産・厄除・病気平癒
住所・アクセス
【住所】京都市伏見区御香宮門前町174
【アクセス】
- JR桃山駅から徒歩約5分
- 近鉄桃山御陵前駅から徒歩約5分
- 京阪伏見桃山駅から徒歩約5分
- 自家用車の方は駐車場あり(ただし神幸祭期間中は使用不可)
- 市バス御香宮前下車すぐ
参拝料
境内は無料
石庭の拝観料として、大人200円 学生150円
参拝できる時間
境内は自由
石庭は9:00〜16:00
h2御香宮神社の見どころ
それでは、様々な時代の雰囲気を感じることのできる御香宮神社の見どころを紹介していきましょう。
見どころの多い御香宮神社の中から、特におすすめしたい7点は以下のとおりです。
- 表門(重要文化財)
- 拝殿(京都府指定文化財)
- 本殿(重要文化財)
- 庭園
- 明治維新 伏見の戦碑
- 御香水
- 神幸祭
表門(重要文化財)
御香宮神社の玄関口とも言える「表門」は、境内南端の大手筋に面して立っています。
豊臣秀吉が築城した伏見城の大手門を移築したといわれていて、国の重要文化財に指定されています(現在、伏見城は伏見桃山城運動公園内に模擬天守が建っています)。
元和8(1622 )年にこれを寄進したのは、水戸藩の初代藩主・徳川頼房で、この方は水戸黄門でお馴染み、徳川光圀のお父さんに当たる方です。
表門を見上げると屋根裏にあたるところに「蟇股(かえるまた)」と呼ばれる寺社建築の部材のひとつが4つ並んでいます。
蟇股には中国の故事「二十四孝」が由来の彫刻が施されていて、いずれも精巧な彫刻が目を引きます。
拝殿(京都府指定有形文化財)
寛永2(1625)年、紀州徳川家の祖・徳川頼宣が寄進したもので、中央が割れていることから「割拝殿」とも呼ばれています。
拝殿上部の彫刻の細かさや美しさは目を見張るものがあります。
彫刻を彩る極彩色は、平成9(1997)年6月に竣工した半解体修理により復元彩色されたものです。
拝殿を正面から見上げると、屋根瓦の下の部分に徳川家のシンボル「葵の御紋」を見ることができますよ。
徳川家と御香宮神社との結びつきの強さが伺えますね。
昭和58(1983)年に京都府指定有形文化財に指定されました。
本殿(重要文化財)
慶長10(1605)年に徳川家康の命により、京都所司代の板倉勝重が普請奉行となり造営されました。
日光東照宮を彷彿とさせる大型の社殿は、拝殿同様の極彩彫刻は桃山文化の豪華絢爛さを余すところなく今に伝えています。
本殿には主祭神の神功皇后の他、神功皇后の夫である仲哀天皇、息子の応神天皇などが祀られています。
拝殿同様、平成2(1990)年から始められた修理により極彩色の彫刻が復元されました。
昭和60(1985)年に国の重要文化財に指定されています。
庭園
徳川家康に仕えた大名であり、茶人、造園家でもある小堀遠州ゆかりの枯山水庭園です。
元和9(1623)年に伏見奉行に任じられた遠州は奉行所内に庭園を造りました。
その庭は、後に庭園を訪れた幕府三代将軍・徳川家光を大変感心させたといいます。
しかし時は流れて幕末、次の項でも紹介する“鳥羽・伏見の戦い”により伏見奉行所は庭園もろとも焼失してしまいました。
昭和32(1957)年に伏見奉行所跡が住宅地に再開発されるのを機に、奉行所跡にあった石材を御香宮神社が譲り受けたそうです。
中でも、書院手前に配されている“手水鉢(ちょうずばち)”は鳥羽・伏見の戦いの際に焼けて変色したとされ、まさに歴史の生き証人ではないでしょうか。
昭和36(1961)年に造園家・中根金作氏によって現在の形で作庭され、有料で拝観することができます。
明治維新 伏見の戦碑
慶応4(1868)年の鳥羽・伏見の戦いの際には、境内に薩摩藩を中心とする官軍の陣営がこの地に置かれました。
相対する幕府軍は150mほど南にある伏見奉行所に陣を張りますが、官軍の激しい砲撃を受けた奉行所は焼け落ちてしまいます。
その結果、幕府軍は伏見から撤退することになり、幸い御香宮神社も戦火を免れました。
その後1年4ヶ月に渡って繰り広げられた戊辰戦争の初戦の地を示す碑と説明書きが境内に残されています。
なお、伏見奉行所の跡地は現在市営住宅・桃陵団地となっており、団地の入口に石碑も立っています。
小堀遠州のオリジナルの庭園があった地でもありますし、御香宮神社からも徒歩圏内ですから時間のある方はぜひ立ち寄ってみてくださいね。
御香水
平安時代の貞観4(862)年のこと、突如境内から香りの良い水が湧き出し、その水は飲むとたちまち病気を治したといいます。
この話が時の天皇・清和天皇に伝わりこの地に「御香宮」の名を賜ったということから、湧き出た水も「御香水」と呼ばれるようになりました。
また、尾張名古屋藩の初代藩主・徳川義直、表門を寄進した徳川頼房、そして拝殿を寄進した徳川頼宣が境内の御香水を産湯として使用したとも言われています。
伏見はかつて「伏水(ふしみ)」と書かれていたこともあり、昔から水が豊かな地であったことが伺えますね。
伏見が酒処たる所以です。
井戸は明治時代に一時枯れましたが、昭和57(1982)年春に井戸を掘り下げて復元され、昭和60(1985)年には環境省が選定した「日本名水百選」の第1号に認定されました。
現在でも霊水としての信仰を集め、水を汲みに来る人が後を絶ちません。
神幸祭
毎年10月初旬に9日間にわたって行われる伏見地区最大の祭りです。
祭神である神功皇后が1年に一度、氏子区域内を巡幸します。
伏見九郷の総鎮守の祭りであり、別名「花笠祭」「伏見祭」とも呼ばれています。
期間中は様々な行事が執り行われますが、初日と最終日の前日に行われる「花笠総参宮」は、各町内からのお迎え提灯として大小様々な色とりどりの花笠が神社を参拝します。
最終日、早朝から巨大獅子舞や武者行列をはじめ3基の神輿が地区を1日かけて巡行する神輿渡御が祭りのクライマックス。
祭りの期間中には100軒を超える露店が境内や参道に所狭しと立ち並び、祭り気分を盛り上げてくれます。
昼夜を問わず多くの参拝者で賑わいますよ。
まとめ
御香宮神社を改めて見てみると、まさに伏見の歴史を凝縮したような場所であると言えます。
境内の中だけでも平安時代から江戸、幕末まで、歴史の流れを身近に感じることのできる場所ですね。
皆さんも伏見へお出かけの際は、ぜひ御香宮神社でじっくりとその歴史に触れてみてください!
参照:御香宮神社
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