歴史の街・京都には、佐幕派・倒幕派それぞれの信念の元に全力で戦った幕末の様子を垣間見られる史跡が数多く点在しています。
本記事では、幕末好きが高じて京都へ移住までしてしまった筆者が京都の幕末の史跡を厳選し、歴史好きの方に向けた観光スポットを紹介します。
明治維新に思いを馳せながら、ぜひ歩いてみてください。
歴史好きが京都で訪れたい幕末の史跡10選
歴史好きな方に幕末を感じてもらえる、京都でオススメの史跡は以下の10箇所です。
- ①京都霊山護国神社
- ②霊山歴史館
- ③壬生寺
- ④古高俊太郎邸跡
- ⑤池田屋騒動跡
- ⑥長州藩邸跡
- ⑦京都御所・御苑
- ⑧金戒光明寺
- ⑨坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地(近江屋跡)
- ⑩二条城
さっそく、1箇所ずつ詳しく紹介していきましょう。
①京都霊山護国神社
歴史好きにおすすめな京都の幕末の史跡の1つ目は、「京都霊山護国神社」です。
東山安井の交差点から霊山(りょうぜん)に通じる「維新の道」と名付けられた参道の先に、京都霊山護国神社はあります。
明治維新の先駆けとなった幕末の志士たち1,043名の霊を弔うため慶応4(1868)年に建立されました。
京都霊山護国神社の境内の東側斜面には、坂本龍馬・中岡慎太郎・木戸孝允(桂小五郎)をはじめとした幕末の志士たちの墓が立ち並んでいます。
年中無休で、拝観料は大人300円となっています。
参考サイト:京都霊山護国神社ホームページ
②霊山歴史館
歴史好きにおすすめな京都の幕末の史跡の2つ目は、「霊山歴史館」です。
霊山歴史館は、京都霊山護国神社に隣接している明治維新総合資料館で、幕末期に活躍をした志士たちや大名・公家・天皇などの遺品や書状など5,000点超を収蔵しています。
常設展示だけでなく、季節ごとに開催されている企画展も好評で、幕末維新の時代を多面的に学べる施設です。
歴史館の入館料は大人900円で、月曜日が休館日となっています。
参考サイト:幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」ホームページ
③壬生寺
歴史好きにおすすめな京都の幕末の史跡の3つ目は、「壬生寺」です。
壬生寺といえば、近頃では壬生狂言や節分行事が有名です。
壬生寺は日本では珍しい律宗の大本山で、正歴2(991)年に快賢僧都によって創建されました。
本尊の地蔵菩薩は重要文化財に指定されています。
文久3(1863)年3月、壬生の地で新撰組が結成されると、壬生寺は兵法調練場として使用されました。
境内には壬生塚があり、新撰組局長である近藤勇の胸像や遺髪塔・芹沢鴨をはじめとした隊士たちの墓などが建っています。
今年は新撰組結成160周年にあたり、それを記念して副長・土方歳三の胸像も建てられて話題となりました。
壬生寺の境内は参拝自由ですが、壬生塚の参拝と壬生寺歴史資料室の拝観料として大人300円が必要です。
近くには八木家・旧前川邸という2箇所の新撰組屯所跡もあるので、併せて立ち寄ってみてください。
参考サイト:壬生寺ホームページ
④古高俊太郎邸跡
歴史好きにおすすめな京都の幕末の史跡の4つ目は、「古高俊太郎邸跡」です。
近江国出身の尊王攘夷派の志士である古高俊太郎の住居跡は、四条河原町のひと筋北を東に入ったところにあります。
古高俊太郎は、枡屋喜右衛門と名を変えて当地で古道具屋「枡屋」を営み、密かに武器を集めたり同志に援助をしたりして枡屋は倒幕活動の拠点となっていました。
しかし、元治元(1864)年旧暦6月5日、新撰組に踏み込まれて捕縛された古高俊太郎は屯所で激しい拷問を受け、長州によるクーデターを自白してしまいます。
これが、明治維新を5年遅らせたともいわれる池田屋騒動の発端となるのでした。
現在、枡屋跡は京料理の老舗「志る幸」となって営業を続けています。
お店の名の通り“汁もの”がメインのお店で、白味噌・赤味噌・すましの3種類を扱い、具材も常時10種類以上が用意されているとのこと。
名物「利久辨當」は、かやくご飯に5種類の肴・おしんこにネギと豆腐の白味噌仕立てのお味噌汁が付くのですが、別料金で湯葉やおとしいもなどの具材に変更することも可能です。
古高俊太郎ゆかりの地で、自分のお気に入りのひと椀を見つけてみるのはいかがでしょうか。
参考サイト:志る幸ホームページ
⑤池田屋騒動跡
歴史好きにおすすめな京都の幕末の史跡の5つ目は、「池田屋騒動跡」です。
古高俊太郎の自白が発端となり発生した池田屋騒動は、元治元年旧暦6月5日(1864年7月8日)に起こりました。
池田屋騒動は、三条小橋西詰の旅籠・池田屋に近藤勇率いる新撰組の一隊が尊王攘夷派を襲撃した事件として有名です。
長州による過激なクーデターの情報を古高俊太郎からの自白で得、新撰組はただちに周辺を探索。
会合のため長州藩を中心とした尊王攘夷派の志士たちが池田屋に潜伏していると知り、突入を試みました。
その結果、数時間に及ぶ激闘となり、30数名が斬殺されたり捕縛されたりしました。
新撰組の名を世に轟かせた池田屋騒動ですが、その大事件となった舞台は現在有名チェーン店の居酒屋さんになっています。
⑥長州藩邸跡
歴史好きにおすすめな京都の幕末の史跡の6つ目は、「長州藩邸跡」です。
京都の中心部・河原町御池にある京都ホテルオークラの地にかつての長州藩邸がありましたが、元治元(1864)年の禁門の変の際に焼失してしまいました。
長州藩邸は尊王攘夷運動の拠点だったこともあり、周辺にも幕末維新期の史跡がそこかしこにみられます。
ホテルの西側には西郷隆盛・大久保利通と並ぶ「明治維新の三傑」のひとり、桂小五郎像も建っていますのでぜひ見に行ってみてください。
吉田松陰の門下生で、幕末の長州藩を主導し明治維新を成し遂げた功労者です。
⑦京都御所・御苑
歴史好きにおすすめな京都の幕末の史跡の7つ目は、「京都御所・御苑」です。
今でこそ穏やかな時間が流れる京都御所と御苑ですが、幕末の頃は政争の舞台であり殺伐とした場所でした。
元治元(1864)年に勃発した禁門の変では、薩摩・会津を中心とした幕府の勢力と長州藩とが当地で激突しました。
烏丸下長者町を少し北に上がると京都ガーデンパレスの向かい側あたりに有名な「蛤御門」があり、間近に見てみると柱や扉には銃弾の跡が残っているのがわかります。
禁門の変は別名「蛤御門の変」とも呼ばれていて、この弾痕からも激戦の様子が伺えますね。
蛤御門の他にも、清水谷家の椋の木や鷹司邸跡など、歴史をリアルに感じられる場所が点在しています。
⑧金戒光明寺
歴史好きにおすすめな京都の幕末の史跡の8つ目は、「金戒光明寺」です。
地元の人々から「くろ谷さん」の愛称で親しまれている金戒光明寺は、浄土宗の大本山です。
昭和9(1934)年に御影堂と大方丈が火災によって焼失してしまいましたが、残りの建物は幕末当時のままの姿を残しています。
会津藩主・松平容保率いる会津藩兵が文久2(1862)年に上洛し、京都守護職の本陣となりました。
千々に乱れた洛中の治安を維持すべく、幕府は「京都守護職」という新たな職を設置して治安維持に当たらせることにし、会津藩主・松平容保が任命されたのです。
ほどなくして近藤勇ら浪士組に「新撰組」という名前が与えられ、京都守護職の配下になります。
絶対の忠誠を誓い、治安維持に奔走した近藤らによって「新撰組」の名は京都の地に轟くことになりました。
金戒光明寺の境内には「会津藩殉難者墓地」もあり、文久2(1862)年〜慶応3(1867)年の5年間に遠く京都の地で亡くなった237霊と鳥羽・伏見の戦いの戦死者115霊を祀る慰霊碑もあります。
参考サイト:浄土宗くろ谷金戒光明寺ホームページ
⑨坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地(近江屋跡)
歴史好きにおすすめな京都の幕末の史跡の9つ目は、「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地(近江屋跡)」です。
慶応3(1867)年旧暦11月15日に坂本龍馬と中岡慎太郎が襲撃された醤油商・近江屋の跡地です。
坂本龍馬は襲撃後に亡くなり、中岡慎太郎は翌々日の17日に亡くなりました。
坂本龍馬31歳・中岡慎太郎29歳という何とも若すぎる死ですが、実行犯については諸説があり、幕末最大のミステリーなどといわれたりもしています。
河原町蛸薬師を少し下がったところに石碑と案内板が設置されています。
⑩二条城
歴史好きにおすすめな京都の幕末の史跡の最後は、「二条城」です。
二条城は京都御所守護のためと、将軍が上洛した際の宿泊所として建てられたものです。
慶応3(1867)年10月13日、15代将軍・徳川慶喜は二の丸御殿で政権を朝廷に返上する大政奉還を表明し、260年あまり続いた徳川幕府の世は終わりを告げました。
二条城の入城料+二の丸御殿拝観料は1,300円で、休城日は12月29〜31日となっています。
別に二の丸御殿には観覧休止日が設けられているので、ホームページなどでぜひ確認してからお出かけくださいね。
参考サイト:世界遺産元離宮二条城
まとめ
本記事では歴史好きな方に幕末を感じてもらえる、京都でオススメの史跡10箇所を紹介しました。
いずれも幕末維新の時代を身近に感じられる場所ばかりだと思いますので、まだ200年も経っていない「そう遠くない昔」に駆け抜けた人々に思いを馳せて京都の街を歩いてみてはいかがでしょうか?
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