【歴史・新撰組好き向け】京都の幕末ゆかりの地を巡るおすすめ観光ルート

 

京都の幕末ゆかりの地を巡ってみたいけど、どんなルートで行けばいいのかがイマイチわからない……。

そんな時、幕末の時代を様々な立場から感じられるスポットを巡ってみるのはいかがですか?

本記事では京都の幕末ゆかりの地を巡るおすすめ観光ルートとして、薩摩・長州・土佐・会津、そして新撰組にゆかりの場所をまんべんなく巡れるルートを紹介します。

市バスを一度利用するだけで残りは自分の足が頼りになりますが、4時間ほどあれば充分廻れると思います。

ぜひ参考にしていただき幕末ゆかりの地巡りを楽しんでくださいね。

 

京都の幕末ゆかりの地を巡るおすすめ観光ルート

本記事では、幕末ゆかりの地を巡るおすすめの観光ルートを順番に紹介します。

京都駅や四条烏丸から一直線に地下鉄でたどり着ける烏丸今出川を今回のスタート地点とし、8か所の幕末ゆかりの地を巡っていきましょう。

  • ①薩摩藩邸二本松屋敷跡

↓ 徒歩

  • ②蛤御門

↓ 徒歩

  • ③京都守護職上屋敷跡(京都府庁)

↓ 市バス【10】四条河原町・三条京阪     ↓ 前行に乗車

  • ④長州藩邸跡

↓ 徒歩

  • ⑤佐久間象山・大村益次郎遭難の碑

↓ 徒歩

  • ⑥池田屋騒動跡

↓ 徒歩

  • ⑦土佐藩邸跡

↓ 徒歩

  • ⑧古高俊太郎邸跡

⑤から⑧の間には今回紹介していない史跡もたくさんあるので、ぜひ見つけながら歩いてみてくださいね。

 

①薩摩藩邸二本松屋敷跡

薩摩藩といえば、常に幕末という時代の中心にい続けた藩のひとつです。

江戸時代、薩摩藩は京に東洞院通錦小路(現在の大丸京都店付近)と伏見に藩邸を構えていました。

文久2(1862)年4月に薩摩藩の国父・島津久光が兵1,000人を率いて上洛した際、東洞院通錦小路の藩邸に入りましたが大軍には手狭であったため、相国寺から土地を借り受けて新たに造営されたのが薩摩藩邸二本松屋敷でした。

藩邸の敷地は、現在の同志社大学今出川キャンパスの実に3分の2を占める広さであったといいます。

元治元(1864)年に勃発した禁門の変の際に東洞院通錦小路の藩邸が焼失したため、以降は当地が薩摩藩の京での拠点となりました。

同志社大学今出川キャンパスの西門前に、石碑と駒札が立っています。

 

②蛤御門

薩摩藩邸二本松屋敷跡を後にして烏丸通りを南下していくと、京都御苑に差しかかって3つ目に「蛤御門」が見えてきます。

京都御苑と市中との境界には9つの門があるのですが、蛤御門もそのひとつです。

蛤御門は当初「新在家御門」という名前で常時閉ざされていましたが、天明8(1788)年1月に発生した「天明の大火」と呼ばれる大火災の際に初めて開門され、焼けると口を開ける蛤にたとえられて「蛤御門」と呼ばれるようになったとか。

元治元(1864)年に勃発した禁門の変では、最大の激戦地がこの蛤御門周辺であったといわれ、門の柱や扉には当時の弾痕と思われる跡がいくつもみられます。

禁門の変が別名「蛤御門の変」とも呼ばれていることからも、いかに当地で激戦が繰り広げられたかが伺えますね。

 

③京都守護職上屋敷跡(京都府庁)

京都守護職とは文久2(1862)年に京都の治安維持のために設立された幕府の役職で、京都所司代・京都町奉行・京都見廻組を配下に置いていました。

京都守護職に就任した会津藩主・松平容保は藩士1,000人を率いて上洛。

当初は黒谷にある金戒光明寺に入りましたが、翌文久3年に当地に京都守護職屋敷と会津藩京屋敷を新造しました。

その敷地は東は新町通り・西は西洞院通り・南は下立売通り・北は下長者町通りに囲まれた約3万坪で、建設のために9つの町が移転をしたといいます。

京都守護職は市中に数か所の屋敷を構えていましたが、当地には松平容保が常駐したため「会津藩上屋敷」と呼ばれました。

慶応3(1867)年、王政復古の大号令により京都守護職は廃止されます。

京都守護職跡地は、現・京都府庁。

京都府庁の旧本館は明治37(1904)年に建設されました。

現役の各府県庁舎の中では現存最古の建物で、その優れた造りから国の重要文化財にも指定されています。

京都府庁旧本館は曜日限定で一般公開が行われていて、かつての知事室や議場などを見学することができるんです。

また、今年(2023)年7月には館内1階の旧人事委員会室にクラシックなカフェも登場したのでぜひ府庁内もゆっくりと探検してみたいですね。

 

参考サイト:京都府ホームページ

 

④長州藩邸跡

市バスの文化庁前・府庁前から【10系統 四条河原町・三条京阪前】に乗車して、京都市役所前で下車してください。

京都市役所の河原町通りを挟んだ右隣に建つ京都ホテルオークラの場所こそが、かつて長州藩邸があった跡地です。

元治元(1864)年の禁門の変の際に焼失するまで、長州藩の尊王攘夷運動の拠点となりました。

ホテルの西側には、吉田松陰の門下生で長州藩を主導して明治維新の立役者となった桂小五郎の像があります。

 

⑤佐久間象山・大村益次郎遭難の碑

佐久間象山は信州松代藩士で幕末の思想家。

門下生には勝海舟や吉田松陰らがいます。

元治元(1864)年3月に幕命で上洛し開国佐幕に奔走していましたが、同年旧暦7月11日に馬に乗って当地を通りかかった時に刺客に襲われ斬殺されました。

その5年後、明治2(1869)年旧暦9月4日に当地付近にあった旅館で襲撃されたのは大村益次郎です。

大村益次郎は長州藩の医者で西洋兵学者でした。

緒方洪庵の適塾で蘭学を、後に西洋の兵学を学びます。

長州藩の軍政改革を指導し、第2次長州征伐や戊辰戦争において陣頭指揮をとりました。

明治新政府では兵部省を設置して兵部大輔(ひょうぶだいぶ)となって兵制改革を進めますが、反対派の襲撃に遭い、運ばれた大阪で2ヶ月後に亡くなりました。

木屋町通りを挟んだ斜め北側に「兵部大輔従三位大村益次郎公遺址」の石碑があり、大村益次郎が襲撃された旅館があった場所を示すものとされています。

また当地の2軒ほど南に桂小五郎・幾松寓居跡の料理旅館「幾松」がありましたが、数年前に閉店し解体取り壊しされてしまいました。

 

⑥池田屋騒動跡

新撰組に捕縛された近江国出身の尊王攘夷派の志士・古高俊太郎の自白が発端となり、元治元年旧暦6月5日(1864年7月8日)に発生したのが池田屋騒動です。

新撰組局長・近藤勇がわずかな手勢で三条小橋西詰めの旅籠・池田屋に踏み込み、尊王攘夷派と大乱闘を繰り広げました。

激闘は数時間に及び、30数名が捕縛されたり斬殺されたり、自刃に追い込まれた者もいました。

新撰組の名を世に知らしめた池田屋騒動の舞台となった地は、現在有名チェーン店の居酒屋さんとしてその名を残しています(写真参照)。

 

⑦土佐藩邸跡

木屋町通りを南下して蛸薬師通りまで来ると、高瀬川沿いに「土佐藩邸跡」の石碑が見えてきます。

当地には江戸時代初期から明治4(1871)年まで土佐藩の京屋敷がありました。

「薩長土」と並び称されるように、土佐藩も薩摩・長州とともに明治維新の原動力となる志士を多く輩出しています。

坂本龍馬はもちろん、中岡慎太郎・後藤象二郎・武市瑞山などが当地を出入りしたでしょう。

すぐ近くにはかつては土佐藩邸内にあったとされている岬神社(土佐稲荷)もあり、境内には坂本龍馬像も立っていますよ。

土佐藩邸跡は現在、複合施設の立誠ガーデン゙ヒューリック京都となっています。

 

⑧古高俊太郎邸跡

お疲れさまでした。

四条河原町のひと筋北(真橋通り)にある最後の目的地・古高俊太郎邸跡に到着です!

近江国出身の尊王攘夷派の志士・古高俊太郎が枡屋喜右衛門と名を変え、古道具屋「枡屋」を営んでいた当地。

わざわざ名前を変えるだけあって、裏では密かに武器を集めたり同志に援助をしたりと倒幕活動の拠点となっている場所でした。

しかしその動きは新撰組の知るところとなり、元治元(1864)年旧暦6月5日に古高俊太郎は捕縛されてしまいます。

新撰組屯所での激しい拷問の末、長州によるクーデターを自白し、これが池田屋騒動の発端となりました。

古高俊太郎邸跡は現在、京料理の老舗「志る幸」として営業されているので、幕末ゆかりの地めぐりの締めくくりにぜひ食事を召し上がっていってください。

「利久辨當」が名物で、かやくご飯に5種類の肴とお新香がひとつの膳に盛られています。

葱とお豆腐の白味噌仕立てのお味噌汁がついて来ますが、じゅんさいや湯葉などの具材を別料金で選ぶこともできるんです。

お店の名前の通りに“汁もの”にこだわったお店なので、いろんな味を試してみたいですね。

 

参考サイト:志る幸ホームページ

 

まとめ

京都には数多くの幕末ゆかりの史跡が点在しています。

長州藩、新撰組……とひとつのテーマに絞って歩くのもアリですが、本記事では京都の幕末ゆかりの地を巡るおすすめ観光ルートということで、倒幕派・佐幕派を取り混ぜて感じられる8か所を紹介しました。

京都歩きの参考にしていただければ幸いです。

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